Home_______JP
Newsflashes__JP
Who Are We?
Reflections___JP
Writings_____JP
Activities____JP
Calendar____JP
Gallery
Shin Glossary
Archive
Contact Us
Links
Report on the 5th Shokai Retreat held in May 2010 (Japanese) PDF Print E-mail
第5回疏開リトリートは2010年5月28日から30日まで三輪精舎で開催され、14人の人々、うちわけ男性9人女性5人、が出席しました。
開講式では、アント・パワー氏(5年間テラヴァーダの出家僧だった人―訳者注)が、出席者全員を代表して、至心行の誓いを捧げました。簡潔に自らの佛法との出遇いを語り、このリトリートを可能にして下さった正行寺僧伽の皆さまへの感謝を表明し、「常にこの疏開リトリート開催の本当の理由に思いをいたしながら、如来のみ光の下本願に支えられてお互いに真の出会いが果たせますように」とその誓いを表明してくれました。佐藤顕明師は佛さまへのアントさんの誓いの言葉を受けて、アントさんが浄土真宗との出会いにおいて表明してきた至心なる努力を讃嘆されました。
このリトリートは、親鸞聖人の『教行信証』の四法の最後、「證」(さとり)をその主題として取り上げました。したがって、開講式において、佐藤顕明師はこの疏開中に探求されるこの主題について説明されました。特に顕明師は、伝統的仏教の殆どにおいては「證(さとり)」は修行の目的となっているが、浄土真宗において「證」は実に道の出発点として捉えられているということを強調されました。なぜなら、阿弥陀仏ご自身のおさとりが一切衆生覚醒の始源となっているからです。師は次には往相と還相―私たちの浄土への旅路と一切衆生救済のためのこの世への帰還―の話に進まれ、往相と還相はともに私どもを完全に救済するための阿弥陀仏の用きであると説かれました。阿弥陀如来のおさとりから流れ出るこのダイナミックな活動は、「完全にして力動的、終わることなき円環的過程である。なぜなら、衆生は無数ですから」と云われました。師はまた、この大悲のはたらきは、私たちが日常生活において、自分自身の業の現実に対面することを通して頂戴するのであって、言い換えるならば、「自分自身の有限性の自覚によって阿弥陀仏のはたらきが明らかにされるのである」と説かれました。
顕明師のお話の後、疏開への出席を切望しながら出席できなかったジョン・ブラウン氏の手紙が読み上げられました。手紙の中で、ジョンさんは、(彼が最初に出席した)第三回疏開リトリート参加者仲間の心の広さと誠実さに触れることによって、十七願の諸仏称名の現実に気付かしめられたことを述べ、まだ自分の心のうちに「深遠な影響を持ち続けている紛うことなき鮮明さ」で「この光の現実を私にもたらして頂いたこと」をすべての人に感謝されました。
この誠意あふれる感動的な手紙の拝読は、素晴らしい開かれた空間を作り出したようで、その開かれた場において参加者の自己紹介が行われました。この出会いの時間の発言の二、三を紹介しますと、顕明師は始めて疏開リトリート参加のハナ・ベンズリーさんに歓迎の言葉をかけて、三輪精舎設立の初めの頃まで十年以上も遡る、お二人の友情について話されました。メアリ・ホールさんは、近付いてきた彼女の結婚式の意味について、そして結婚生活の中でまた仏さまへの旅を続けることになるだろう事実について、深く省みる絶好の機会を頂戴したことに感謝を述べられました。ダンカン・ケネディ氏は、いつものように「お出で頂いて有難うございます」と顕明師夫妻によってお寺に迎え入れて頂いたことを涙ながらに話されました。顕明師は「お出で頂いて有難うございますと申し上げるのは、あなたの参詣によって、私が仏さまに会わせて頂いているからです。すべては仏さまのご廻向です」と応えられました。
一緒に夕食を頂いた後、疏開参加者は声明習礼に集合しました。サンジー・コービンさんの司会、顕明師の指導で進められたこの集会では、正信偈草四句目下についての以前の習礼を復習した後、三帖和讃の最初の部分の習礼に移りました。参加者の大部分にとって、それははじめてのご和讃の習礼であり、かなりの困難を覚えたことでしたが、参加者全員が大きな関心と集中力を示しました。
土曜日のお朝事の後では、純信の獲得と證の関係を明らかにする一助として、顕明師が『蓮如上人御一代記聞書』第34条を取り上げて話されました。「涅槃に至るのは浄土においてですが、阿弥陀仏に帰命する一念に今ここで浄土往生を確信させて頂きます。仏さまとの出会いによって、私たちは阿弥陀仏に帰依せざるを得なくなります。私たちの仏さまへの帰依は、実際は仏さまのはたらきです。私たち自身には、そこに加えるものは何もありません。蓮如上人が親切にも仰って頂いているように、『罪消して助けたまはんとも、罪消さずして助けたまはんとも、弥陀如来の御計なり。罪の沙汰無益なり。たのむ衆生を本と助けたまふ事なり』であります」と話されました。
疏開リトリートでは、『御文』拝読に際して、参加者が日本語で拝読されている『御文』の意味を理解できるように、英語の翻訳が配布されて来ました。そして、お朝事の後のお会座で、数人の人がこんな風にお勤めの時に蓮如上人の言葉を頂けるのはどんなに嬉しく感動的であるかを語りました。恐らくはこの反応に基づいてか、また、いろんな会合のときに宗教的文書を読み上げて来たアンドリュー・ウェブ氏の恭しくも明瞭な読み上げ方がお心に残っていたからか、顕明師は将来『御文』を日本語と英語の両方で拝読することにしたいという重大な決断を発表されました。このニュースは、感謝と興奮と歓喜を持って迎えられ、僧伽の人々は、私たちのお勤めのこの新しい部分を、適切に用意するにはどうしたらよいのか、最善の方法を話し合うのを楽しみにしています。
朝食後アンディ・バリットが、「『教行信証』の證の巻において論じられる阿弥陀如来の十一願について」という講題で話をしました。この話の主な目的は「等覚」という言葉の本質を情緒的観点から究明するところにありました。この目的のためにアンディは、存在と時間の関係に関連して、「信の一念」というテーマに注目し、信心の開発がどのようにこの存在と時間の関係を変えて阿弥陀如来の活動領域を現すことになるのかを論じました。アンディはさらに、この新しい目覚めがどのように日常生活に再統合されるのかを考究し、念仏者が引き続き信心開発の最初の一念に帰る必然性を論じました。この話の間に、顕明師は沢山の有益な解説をして下さり、最初の「信の一念」と信後の念佛の未来への相続の関係を明らかにするために、その一助となる西谷啓治先生の哲学の図表を描いてもくれました。この図表を用いて、顕明先生は、信心開発の最初の経験に帰っていくことが、どうして逆行することを意味しないで、むしろ自己の業的存在の現実そのものに帰ることになると同時に、私たちの全人生の根底にある「支え」との出会い直しになるかを示して下さいました。この瞬間に、恐怖は除かれ、内なる平和が訪れます。
午後にはメアリ・ホールさんが、作業についての短い話をして、「去年の夏正行寺に滞在させて頂いた時、道場の台所でご婦人方と働いたことを思い出します。五十人もの人々の食事を作っているのに、そこには大いなる喜びの情(こころ)がありました。それは重労働とは思われませんでした、というのは、それは労働ではなかったからです。それは、作業でした。私たちの労働を仏教の行の一部に変えるものは何でしょうか。それは、一人ひとりが自分の仕事に対して持つ心構えと阿弥陀仏のお慈悲の素晴らしい融合に他なりません」と話してくれました。
メアリーさんのお話を聞いた後、疏開参加者は禪ガーデンの側溝の石を取り出し、洗い、戻すという午後の作業に取り組みました。庭が創られて以来したことがなかったことなので、始めたときはこの課題がどの程度のものかは解っていませんでしたが、すぐに膨大な仕事となることが判明しました。しかしながら、雨降りの悪天候と非常にきつい仕事内容にもかかわらず、みんなが一生懸命協力して働き、石の半分以上を洗って側溝に戻しました。この大部分はデーヴ・ジママン氏の努力のお蔭で、ジママン氏は作業隊長として、全てがうまく調整され、みんなの志気のレベルが堅持されるように、作業全体を指揮してくれました。私たちは残りの作業を近い将来に完遂したいと思っており、マシュー・アルビッジ氏は親切にも庭のどの部分が未完了であるかを示す詳細な図面を作ってくれました。
夕食と休憩の後、全員が再びお仏間に集合して、顕明師とデーヴ・ジママン氏の指導で座禅をしました。 
翌日の朝のお会座では、顕明師が皆さんに対して昨日の庭作業のお礼を言われ、今朝の庭の清浄さは、始めて正行寺の境内を見させて頂いた時の経験を思い出させてくれたと述懐されました。それに加えて、お勤め中に初めて『御文』が英語で拝読されて、顕明師は「今や真宗がこの国の大地に根付き始めている」とその喜びを表明されました。また、お会座では、キャサリーン・ホールさん(メアリさんのご母堂)が、お寺の雰囲気に対する彼女の感覚が前回疏開に出席したときよりも遥かに成長したと述べられ、ハナ・ベンズリーさんは、彼女の周りの人々(お同行)に体現されている心を適切に表現すると思う「サーヴィス(奉仕)」という言葉について話されました。
朝食後全員が一堂に会して、アンドリュー・ウェブ氏が、『教行信証』の「證」の巻の後半部分に関して、「生死の薗に入る」という講題のお話をされるのを聞かせて頂きました。アンディ・バリットは、前日の話の終わりのところで、一切衆生を救済する阿弥陀仏の終わりなき円環的ダイナミックな活動が「衆生無辺誓願度」で始まる四弘誓願の精神にいかに密接に関係してるかを話させて頂きましたが、アンドリュー・ウェブ氏が究明しようとされたのは、普賢菩薩という方に体現されているこの精神に他なりませんでした。アンドリュー・ウェブ氏が言われるように「この菩薩の歩みは、浄土往生によってさとりを得る時点で終わるのではありません。親鸞聖人は、二十二願の真意は、お浄土でさとりを得て真の菩薩になったら、すぐさま一切衆生救済のために苦悩の人間界に帰ってくるところにあると明かされています。浄土に往生するということは、その時はじめて、還相回向―私たちのこの世への帰還のために阿弥陀仏がその功徳を振り向けて下さること―という新しい活動の始まりとなるのです。」
アンドリューさんはさらに進んで、還相回向の活動がまだこの世に住んでいる人々によってどのように経験されるかを論じて、以下のごとく話されました。「もし私たちが、ちょうど親鸞聖人が師匠の法然上人を通して出会われたように、(純信を以って念仏する)個を通して佛法に出会うならば、その時その眼前の念佛の人は、人生の真実に目覚めた人として、私たちにとっては仏さまのごとくであり、そういう人々の先導で私たちは念佛の純信に目覚めさせて頂けるのです。この信は純粋です、なぜならばそれは阿弥陀如来の贈りものだからです。私たちはこの贈りものを他の人々を通して阿弥陀如来の御廻向として受け取ることが出来ます」と。顕明師はこの点をさらに「親鸞聖人は『私は愚者である』と仰いますが、そのように自己の実相を自覚された親鸞聖人は、既に阿弥陀仏の智慧に抱かれていますので、お同行は親鸞聖人を輝く光として拝まれたのです」と明らかにして下さいました。
疏開リトリートは、5月30日正午にお勤めを以って終わり、ダンカン・ケネディ氏から仏さまへ感謝の辞が捧げられました。ケネディ氏は、まず竹原智明師と坊守さまのご支援に感謝されました。顕明師に対しては、先生として導いて頂いたことを、佐藤博子さん、プンワニ香織さん、ウェブ眞子さんを含むさまざまな他の人々に対しては、その親切な努力によってリトリートが可能になったことを感謝されました。ダンカンさんはまた「證は、私たちの日常生活の中に絶えず自らを表現しようとしている活きたダイナミックな実在への努力を超えた目覚めのことです」というアンディ・バリット氏の解説に感動したとも述べ、さらに、アンドリュー・ウェッブ氏が「仏さまの教えを頂戴した喜びで心身ともに新鮮になって、再びこの世に出て行くことが出来ます」と言われたように、今日私たちがここを去るにあったって、この実在を「流れしめ(疏)」「開く(開)」疏開が私たちの日常的出会いに現れることこそ私たちの衷心からの願いですと述べられました。ダンカンさんは、「この感謝の言葉を述べるに当たって、そのすべてを無量寿不可思議光の阿弥陀仏に捧げます」と結ばれました。
アンディ・バリット記

 
< Prev   Next >
© 2010 Three Wheels Temple