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Report on Japanese Dharma Talk Meeting held on 10th Feb. 2010. |
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『法母会』日本語法話会記録:2010年2月10日、於ロンドン三輪精舎
二月十日、正行寺建立記念日であり恵契様の御祥月命日でもあるこの日、三輪精舎にて厳粛な法母会の勤行に引き続いて日本語法話会が開催されました。司会は佐藤博子さん。建心師を含んで多屋から四名、多屋外から五名の参会者は、1999年のこの日お浄土に還帰された恵契様を偲ばれての約一時間に亘る建心師の御法話をお聞かせ頂きました。
御法話の冒頭建心師は、正行寺のウェブ・サイトによって参会者に正行寺の歴史の概略に加えて、正行寺のお念仏を中心にした多屋生活、ここ英国の三輪精舎また筑紫楽所を含む正行寺の法動及び国内外の交流について紹介されました。これは正行寺を訪れた事のない四名の参会者の方々に対する建心師のご配慮であると共に、全ての参会者にとって恵契様がそこで生涯の師である大行院様と邂逅され、師に信順し信心獲得された後、文字通り自信教人信の誠に生き抜かれた僧伽を思い起こさせて頂く時とされました。
続けて建心師は恵契法母文集『光輪きわなく』より、恵契様お聞書の「正行寺実建立の第一歩」及び故数藤鐡臣氏筆になる「六十年の積恩」を紹介拝読されつつ、当時の恵契様と数藤様の出遇いについて話されました。
これはまさしく恵契様の大行院様の御言葉に対する信順によって結ばれた麗しい果実であります。そこには「自分より上の人を連れて来なければ、本当の信心ではない」という大行院様のお言葉に、一切の計らいを捨ててご自身を委ねて行かれた恵契様がおられました。その初対面の一婦人・恵契様の一心の「聴聞」のお勧めに「約束通り」応答して行かれた当時位官身を極めた数藤様。数藤様は、わずか三日間の聴聞で「今までの学問、経験、社会的地位など全く通用せず、いくら聞いても分からないままに」「全く落第しました」と大行院様の前に頭を下げ果てた時、「落第したことが分かったことだ」とのお言葉を以って数藤様の一切を引き受けられた師の御慈悲の内に、数藤様は阿弥陀様との出遇いを果たされました。その時、如来様に一切を明け渡しての数藤様の歩みがはじめられました。
恵契様によって「正行寺実建立」と想起された大行院様と恵契様との出遇い、更に恵契様を通して大行院様と数藤様の出遇いへと展開された阿弥陀様の「強願力」による「真信」に促され、建心師はご自身とご院家様との出遇いについても語られました。恵契様が大行院様の御言葉に自らの計らいを捨てて「はい」と頷いて行かれたように、建心師にとってもご自身の御出家に際してご院家さまに「はい」に応えさせて頂いたことがご自身の「真信」の原点であり、常にその原点に立ち返って歩みを進めさせて頂きたいと語られました。
更に建心師は、ご院家様によって建心師に与えられた真実信心の核心には、建心師ご自身の思いを超えて阿弥陀様の願いを明らかにされたご院家様の親心があり、その良き師との出遇いを通してこそ、更にその師への信順と自身の念仏相続においてこそ、阿弥陀様に摂取されゆく建心師の、また私たちすべてにとっての、真実の心の安らぎがあると語られました。
真に宿善とは仏法の種、汚泥の中に開く蓮華の種であり、無宿善の底下の凡夫である私たちには、それは良き師、良き友、親兄弟、親族等との出遇いを通して頂く他ないものであり、更に頂いた仏法の種は、善知識様・お同行と出遇い続けさせて頂くこと、つまり僧伽の中で法水を頂き続けることによって、初めて芽を出させて頂く事が叶いますと、建心師は続けられました。
恵契様の念仏一筋百年の御生涯。その核心は大行院様との出会いであり、師への一心の信順に貫かれ、有縁の方々に信心の喜びを伝え続けられて倦むことのない御生涯でした。私も恵契様を鑑として有縁の方々に、子供たちにお念仏の喜びを伝えるものにならせて頂きたいと強く願います、とのお言葉を以って建心師は御法話を結ばれました。
その後博子さんの司会にて参会者各自感想を述べられました。
博子さん:最晩年の恵契様との出遇いは、正行寺をお訪ねした際の境内の空気の清浄感として忘れられません。恵契様の御言葉に素直に「はい」とお答えすることのみを願っての人生。ただひたすらに恵契様、ご院家様に受け入れて頂いて参りました。人として生まれた喜びは、振り返って恵契様との出遇いの一点に凝縮しているように感じています、と。
橋本さん:ご自身の体験を振り返り、実際の社会生活の中で信仰に生きることの難しさを思う中で、数藤様が大行院様、恵契様との出遇いに力を頂いて文字通り実生活の中で信心に生き抜かれた御生涯に深く感動しました、と。
千鶴さん:数藤様がご自身の「落第」に気付かれ、大行院様の前に頭を下げ果てられた事をお聞きし、自ら「落第」の身であることに全く気付いてさえいない自分を思い、恵契様と数藤様の出遇いによって顕現された純粋な世界は自分にはない世界であり、自分との大きな違いを感じましたと。その感想に、建心師は本当に信従出来る人に出会ってこそ、人は自らの「落第」に気付く事が出来るのではないでしょうか、と応えられました。
厚子さん:泥土に咲く蓮華の喩をお聞きし、まだ芽を出し得ない自分を恐れます、と。建心師は、芽を出すのも自分の力や計らいではなく仏様の御力に依ることです。種を下さり、水をかけて下さる方が、芽をも出させて下さるのですと、応えられました。
早苗さん:僧伽の中に入れて頂きつつも、何時の間にかその事の感謝を忘れ、信仰の喜びに鈍感になっている自分。恵契様のように信仰の喜びを子供たちに伝えるためにも、もう一度自分を振り返り、信心の喜びを確かめ直して行きたい、と。
加藤:建心師によって大行院様、恵契様、数藤様の真実信心の出会いをお聞かせ頂き、善知識とのお念仏による邂逅を通して宿業を宿善と転じて下さる阿弥陀如来様の御恩の世界に改めて開眼させて頂きました。更に建心師の蓮の花の喩によって、邪偽と疑蓋の汚泥そのものである私故に大悲によって廻向された邪偽・疑蓋の間雜せざる「真信」を如来様ご自身と拝ませて頂きました。
大行院様と恵契様、更には数藤様を加えての「真実信心」の僧伽に於ける出遇いの展開・相続の歴史を「正行寺実建立の第一歩」として紹介された建心師の心を尽くされての御法話を通して、参会者一同、み仏様の私たち一人一人にお掛け下さっておられる「強願力」の活けるお用きに出遇わせて頂いた御法座となりました。汚泥でしかない私たち一人一人に御慈悲の蓮の種を下さったその御仏様が、法水を注いで下さり、その種の芽をも出せて下さいますとの、建心師のお言葉に、改めて感謝と懺悔を以って、御仏様の大悲の内に私たちを見出させて頂きました。
南無阿弥陀佛。 (記録者:加藤)
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