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Report on the 4th Shokai Retreat (Japanese) PDF Print E-mail
第四回疏開リトリートが、二十名の参加者を得て、二〇〇九年十月二十三日から二十五日にかけて開催されました。先の二回の疏開リトリートを受けて、今回の疏開では親鸞聖人が『教行信証』第三章に説かれた「信心」に焦点を合わせての学びの場となりました。
今回の疏開において、特筆すべきことは、私たちの法動をご支援下さるために正行寺さまからはるばる英国に来て下さった竹原慶明師を主たる講師としてお迎えできたことでした。
十月二十三日(金)開講式は、予め疏開の全てのプログラムに私たちの心を集中させるべく重要な役割を担っています。サム・ケリーさんの心を尽くした司会進行を得て、まず全参会者を代表してジョン・ブラウンさんが誓いの言葉を述べられ、続いて顕明師開講ご法話の後、参会者一人一人より自己紹介がなされました。
ジョン・ブラウンさんの誓いの言葉は、疏開の大切な主題である善知識様との出遇いの重要性を巡って、以下のような彼の個人的な証得を含んで、特筆されるべきものでした。
「ここ三輪精舎に現成している深い信仰を私のこの目で見させて頂いてきた過去一年間を振り返ることによって、法身の大悲が日常生活のただ中に顕現しているという深い真実のすがたが、私に明らかにされてきました。
私にとって三輪精舎僧伽の持つ意義は、最近の顕明先生との出遇いの中で、衝撃的ともいえる形で明らかにされました。何らかの形で克服しなければならないと私が感じていた問題について先生とお話させて頂きました。穏やかさと忍耐をもって私の言葉を聞いて下さった先生に助けられて、私が苦闘していたのは、実は阿弥陀如来の摂取を直付けに求めていたのだということに気付かせて頂きました。私たちが他力の摂取不捨のお慈悲に気づかせて頂くのは、ただ法友や先生方との真実な出遇いを通してこそであります。」
顕明師は、ジョンさんの誓いの言葉を受けて、正行寺さまを最初に訪ねられた際の事を語られました。また顕明師は大行院さまと恵契さまとの出遇いの真実について語られ、大行院様にとって恵契さまがそうであったように、「一人の方の信心獲得が実に大いなる用きを為しうるのです」と仰いました。
続いて、顕明先生は慶明師に歓迎の意を表され、続けて同師の紹介をなさいました。特に、一九九四年、ご院家さまから先生と先生の法友たちに頂戴したお名号を前にして開催された第一回目のロンドン会座に、慶明師が出席されておられたこと、爾来三輪精舎開設の初めより、精舎のその後の法動の展開に慶明師が常に深く関わり、また関心を持ち続けて下さったことを話されました。
慶明師は、英国における法動が正行寺のお同行にとって非常に大切であること、また、英国の法動について聞くことが、日常生活で幾多の困難と闘っておられる僧伽の年配のお同行方にとって、格別の喜びと幸せになっているということをお話下さいました。
金曜日の夕、建心師は「勤行と信心との関係について」と題して、法話をされました。続いて、『正信偈』の草四句目下の勤め方について指導して下さいました。ご法話において、建心師は特に二つの事について注意を喚起して下さいました。一つは、「勤行において最も大切なことは、信心の喜びである」という事であり、第二には、「個人の努力のみに頼っている限り、信心獲得は困難である」ということでした。
この後者の点に関して、建心師は、最近ジョン・ブラウンさんが信仰上の問題に直面した際、幾人かの法友の勧めに従って顕明師を訪ね、来年の一月に正行寺さまでの聴聞を決意したと聞くに及んで、非常に嬉しく思ったと述べられました。このことは、建心師にとって、京都道場の主管である清水先生との出遇い、およびご自身の聴聞を思い起こさせるものであり、更には、恵契法母のつぎのお言葉をも思い起こさせてもくれた、と語られました。
「世は真理だけで通るものではない。法は人を通じてしか伝わらない。その人が信ぜられねば法は伝わるものでない。この明瞭な事実を否定して信仰はない。(恵契法母の言)」。(香光より)
一たび、声明の練習が始まるや、建心師は一同のレヴェルの高さに驚き、かつ喜ばれました。ただし、これは偏に先の疏開リトリートにおける師の訓練の賜物であるわけですが。師はまた、声明の大家であられる本泉寺様が、この十二月に三輪精舎をご訪問下さること、またそれは私たち一同にとって本当に感謝すべきことであると報告されました。南無阿弥陀仏
十月二十四日(土)朝のお会座にて、顕明師は大行院さまの『一枚法語』から次のお言葉について語られました。
「一、御経文を行ずべきなるを、この廻向窟内の人々は、子供の守しつつある心底の人と、親に仕えつつある心底の人との二通りの者計りなり。それでは、同じく亡び行く計りなり。即ち御経に対して、余念ある人計りなり。四月廿十七日」(一九四七年)。
このお言葉に関連して、顕明先生は、ある暑い夏の錬成会において恵契さまが参加者に「みんな南無コカ・コーラじゃもんね」と注意なさったことを回想されつつ、「私たちの関心の対象は、状況に応じて様々に変わりゆくのが実際であるが、私たちにとって最も大切なことは、真に「究極的関心」となる事柄を見出すことである。執心を離れた信心を頂くことによって、私たちは全てのことを、ただみ仏さまの摂取に感謝しながら、自由に為すことができる」と語られました。このお話について後に建心師は、「本当の自由とは、私たちが自分の欲望に従って、したいことをするということではなく、私たちはそれぞれの宿業の闇から解放されることであります」と披瀝されました。
前日夕刻のお会座での建心師のご法話にあった「師と弟子との関係の重要性」と、晨朝勤行で拝読した『御文』(五重の義)に関連して、顕明師は以下のように敷衍されました。
「信心開発したならば、確かに善知識様はみ仏さまの顕現として拝まれるでしょう。従って、あなたの周りにいる人々に敬意と感謝を持って接すべきではありますが、ただ帰依すべきは阿弥陀仏のみ。このことは常に明確にされていなければなりません。もし、法友や師の形ばかりを見ているとしたら、それは全くの誤りです」。
朝、いつものように石井早苗さん、プンワニ香織さん、関根厚子さんによって用意された素晴らしい食事を囲んだ後、再度お仏間に集い、慶明師より『二河白道の譬における真宗の信心』と題したご法話を聞かせて頂きました。座が整えられている間、同師のご好意によって、正行寺さまの美しく清浄な境内が映像によって紹介されました。
慶明師のご法話は、非常に丁寧に準備され、その企画も講述も細心の注意を持って為されたものでした。図表や譬喩や黙想を巧みに織り交ぜて、同師は善導大師の有名な「二河白道の譬」の意味するところ、その譬についての親鸞聖人の独自なご領解を、善導大師の譬の目的、その描写、話の展開、そしてその註釈の順序で、私たちに丁寧に解き明かして下さいました。ご法話は、善導大師の『観経疏』の「三心釋」の詳細な解説を持って結ばれました。
慶明師のご法話は、極めて包括的であり、また深遠でもあり、そのご法話の深みに入り始めるに至るまででも、私には少し時間がかかると思います。それほどに、師のご法話は、私にとっては一生涯熟考するに足る貴重な宝となりました。その中でも、特に私が感銘を受けた幾つかの点について、以下に述べさせて頂きます。
・真に観る事を助ける「問い」
慶明師は、私たちに数分間目を閉じるように仰り、今いる部屋の中に四角形の物がいくつあるかと、尋ねられました。次に、目を開けて、私たちが思い出したものに加えて、さらにいくつの四角形の物を実際に観ることができるかと、問われました。慶明師は、この実験を通して、私たちが「問い」を持つということが、如何に観るということを助けるかを教えて下さいました。私は、このことは顕明師が説かれた、私たちの「究極的な関心」を見出すということと響き合っているように思います。私たちの心奥の願いを深く見つめ直す時、私たちは阿弥陀如来さまのご本願にお遇いさせて頂き、またそのご本願を、何が真実であるかを観させて下さる声として発見させて頂く事が出来ると思います。
・ここにはあなた自身の意思で来たか?
慶明師は、この疏開に私たちが、自分自身の意思によって出席しているかと問われました。私自身は、翌日「ご恩」を主題に講話をする事を依頼されていたわけですが、私は即座に「はい、私自身の意思で参りました」と心の内で答えていました。蛇口からグラスに水を注ぐという行為に含まれる全ての過程をたどる賢明な例えを用いて、慶明師は、私たちのおかれている状況を因果において捉えるようにと、私たちの注意を喚起して下さいました。
・群賊と菩薩
妙音院了祥師の発案による二河白道を主題とした数枚の画を順に示されつつ、慶明師は、特にその最後の画において、先に群賊・悪獣に満ちていた東岸に何者も残っていないことを指摘されました。親鸞聖人の『浄土和讃』中『大経讃』の序文、および『教行信証』の総序に基づいて考えるならば、私たちは、これまでの東岸の住人を、実は私たちを浄土に導いて下さった菩薩さま方と、観ることができます。
顕明師もこの見解を支持され、『観経』との関係で、善導大師は韋提希夫人を「実業の凡夫」と見られるのに対して、親鸞聖人は韋提希夫人を「権化の仁」と見られていると指摘されました。
両師の見解は共に可能であるとはいえ、親鸞聖人の見解は、浄土教の説法へと導い下さった過去の全ての因縁に対する聖人ご自身の深い感謝の思いを示しています。徳永道雄師の言葉を借りるならば、「信心の人とは浄土往生を願っている人のことです。しかし、その信心の人と親しい人々にとっては、その信心の人は彼らを涅槃へと導いてくれている方のように映っているかもしれません。」(「『還相』の概念においてみられる大乗仏教の本質」)
慶明師のご法話の後、昼食を共にし、その後転輪多屋の庭に出て、蔦を払い、木苺の根を抜き、数時間皆で作業に汗を流しました。作業は、私たちにとって慶明師のご法話を、心のうちに咀嚼する機会ともなりました。これによって、後の、二河白道の譬を巡っての意見交換の場が活発なものとされたように思います。作業に関しては、サンジーさんの素晴らしいご指導を得て、思っていた以上に仕事が捗ったことを、彼女に対する感謝とともに一言付け加えさせて頂きます。
十月二十五日(日)日曜日の晨朝会座は、デイヴ・ジマーマンさんの司会によって開かれました。彼は、三輪精舎に集うことによって、彼にとって「信仰」という言葉の意味が如何に変わったかを話されました。かつては、彼にとって信仰とは単に非合理的な信心の表明であるかのように思われていたのが、今は、それは私たちを精神的に向上させ、また私たち自らの経験を深めていくことを可能としてくれる非常に具体的現実的な過程に対する信頼のことであると、理解するに至りました。それゆえに、今や「私は信仰をもっています」と言えて嬉しいですと、告白されました。顕明師はデイヴさんの信仰に対するこのような新たな理解を聞かれて非常に喜ばれるとともに、彼が昨晩、思慮深く、また注意深く座禅瞑想の時間を指導してくれたことに、感謝の意を表されました。
朝食後、疏開の最後の講話として、私(アンデイ)は『信心についての若干の考察』と題してお話させて頂きました。 私の講話に対する感想等は他に譲りたいと思いますが、最近の私の父との精神的な出遇い直しについて語った後で、佐藤博子さんは私に、「このことはあなただけの体験に留まる事ではないと思います」と、仰って下さいました。このお言葉は、私の心に今尚強く響いており、ご恩を決して当然のように考えてはならないことを、私に繰り返し思い起こさせてくれています。それはまた同時に、「私たちは、ご院家さまによって三軒の多屋を頂いています。私たちは、私たちの心を開いて、また自らの思いを捨てて、その三軒の多屋へ人々を喜んで迎え入れなければなりません」という顕明師のお言葉を思い起こさせてくれました。
リトリート中のある晩にジョン・ブラウンさんと話をしている時、彼は私に、彼が最初に三輪精舎を訪れた時、彼の方こそ顕明師と博子さんに感謝すべきであったにも拘らず、逆にお二人が彼に「三輪精舎を訪問してくれて有難う」と繰り返し言ってくれたことを、語ってくれました。ジョンさんの言葉を聞きながら、私自身には、そのような感謝の心がないこと、しかし阿弥陀如来さまに助けて頂いてそのような人になりたいとの思いを禁じ得ませんでした。南無阿弥陀仏 合掌
アンディ・バリット記

 
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